とりあえず「鉄道」への注目度が高くなっていることだけはまちがいない…それはよく分かるのですが、きっかけはどういったところにあったのでしょう。
1.「電車男」
これはやはり大きかったのでしょう。「電車」というそのものズバリの言葉が爆発的に浸透したこと、内容は鉄道マニアのことでなくても、ネーミングが、もともとあった「鉄道好き=マニア=オタク」という図式に、ピッタリだったこと。「電車男」に絡む話題の中で、かなりの人の関心の中に「鉄道マニア」のネタが自然に滑り込んでいった…。そんなところでしょうか。
2は…と考えましたが、すぐに思いつかない…。そう考えると最近のモノは全部「電車男」のあとからついてきたものなのかも…という気もしてきます。一旦「電車男」から「鉄道マニア」にシフトした興味は、「鉄道マニア」が電車の一番前でリュックをしょって前を見ている連中だけではないことに気がつきました。曰く「撮り鉄」「乗り鉄」「音鉄」…。とりあえず「腑分け」のように、鉄道マニアの、自分とはかけ離れた興味の持ち方に、一般大衆がまなざしをむけるようになってきた。
しかしここで大事なのは、この視線は決して「暖かい」「共感的な」ものではなく、対象となっているマニア氏にむけられる視線の冷たさが自分に及んでこないような、距離感を置いた「観察の眼」であるということでしょう。
一方で「鉄道マニア」も自分たちの興味が、まだまだ日陰者扱いされることについて、十分了解した上で各種行動をとっているものと思われます。ここが自他共に「マニア」と認めるか、自分はそれなりに鉄道好きだと思っていても「マニア」とは認められない部類に属するかの違いかも知れません。
鉄道というモノは、「公共交通機関」の名の通り、ほとんど「公共物」ですので、これをひっそり自分だけの世界にして楽しむことは不可能です。自分の部屋で、買ってきた模型だけを見たり走らせたりして楽しむと言う分には、模型屋さんとのつきあいだけで済むかも知れませんが、実物はどうでもよいと言う人は、まあめったにいないでしょう。
いきおい、車庫のフェンスに張り付いて写真を撮ったり、はたまた電車の一番前に張り付いて前を見たり、はたまた駅のホームのはじっこに張り付いて写真を撮ったり、とりあえずいろんなところに張り付いたりして、いろいろと調べたりする姿が目撃されるわけです。これら行為がどこまで公共の場所で受け入れられるかを、常に気にしているべきなのでしょうが、今は世の常になってしまったように、ひとのことなんか構わない人でいっぱいですからね…。
まとめ方が分からなくなってしまった。とりあえず今後も世の中の鉄道好きに対する視線のあり方については要注目。もちろん鉄道そのものにもね。
これで鉄道利用者が増える、というような注目のされ方ではないとは思うが。
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